脱・洗脳教育論 苫米地英人
目次
本の帯より
教育は洗脳である
日本の「奴隷的教育」にメスを入れ、洗脳から解放された自由への道を示す
内容
序章 だまされている日本人
優秀な日本人、日本の教育はレベルが高いと言われているが
奴隷としてという主語が抜けているのに気づいているのか。
フリーター、ニートの何が悪い
働かなくてもいけていけるのは
ヨーロッパの高等遊民と同じ
悪いことではない。
第1章 洗脳救育を可能とした儒教思想
儒教思想の中では女の存在は血を繋ぐための道具にすぎない
信仰心を巧みに使い、階級制度を導入することに成功した
そんな儒教思想を信じたからこそ
差別みたいなものがある
先に生まれた方、あるいは教える側が偉いという論理には何の根拠もない
公務員、先生が立派なんてうそ。
第2章 洗脳教育による日本人奴隷化計画
洗脳教育のきっかけは明治維新
次のきっかけはGHQ
裏には大体ヨーロッパのロスチャイルドなどがいる
第3章 真の教育とは何か
教育とは世の中で起きたこと、行われていることは、より正しいのか。より正しくないのかといった判断ができるようにすることだ
学校で行われるテストは評価のためではなく習熟度や理解度を確認するものでなければならない。よって点数をつける必要は全くない
徒競走をやったとしても順位を付ける必要はない。
教育現場におけるランク付けは全て誤った教育だと言いたい。
子どもの能力の話をするときは、「誰のため」でもなく、本人のためであることを前提としなくてはいけない。
教育は義務ではなく権利である。その権利は誤った主張によって得られた場合、剥奪されるのである。
第4章 真の教育のかたち
国立大学は無償もしくは、かなりの低価格で基本的には誰もが入学できるようにする。ただし、何度も言うようにきちんと勉強しなければ即刻退学である。
女子教育に意味はない。まぎれもなく儒教の女性軽視の影響だ。差別以外何ものでもない。
クラス編成は習熟度別に
年齢別のクラス編成も古い西洋的発想に基づいている。
教育は権利であって義務ではない。そこでは、学校に行かないという選択も尊重されるべき。
第5章 親の役割
ドリーム・キラーとはあなたにはこういう仕事が向いているとかこういう仕事に就いたほうがいいとか、その仕事では生活をしていけないとか、様々な理由を付けて、一見、妥当と思われるようなアドバイスをしてくる輩のことだ。
ドリーム・キラーとはあなたにはこういう仕事が向いているとかこういう仕事に就いたほうがいいとか、その仕事では生活をしていけないとか、様々な理由を付けて、一見、妥当と思われるようなアドバイスをしてくる輩のことだ。
だから親は一切、子どもの能力や制限をかけるようなことを言ってはいけない。
小学校は決して託児所ではなく、勉強をするところである。
通う前の段階で親は子どもに対する最低限のしつけを終わらせておかなければならない。
終章 脱洗脳後のゆくえ
日本人という定義自体が非常に曖昧なのである
日本人の心とか日本人の魂などいまだに言っていること自体がおかしい。
実際のところ、国という概念がいま亡くなったとしても誰も困らないはずだ。
終わりに
特別付録 未だ残根強く残る「儒教精神」と日本教育
小学校、中学校では朝礼があり、クラスごとに整列し、子どもたちは見事な隊列を作り、「前へならえ」「右向け右」といった号令がかかるとそれに従って動く。自由主義の国々の人たちが見たら腰を抜かすようなまるでここは北朝鮮かと見間違えるほどの光景がほぼ全ての学校で繰り広げられる。
感想
日本人はみんな教育によって洗脳されている
といったインパクトのある内容だった
国の概念なんかはもはや崩れつつある。
仮想通貨やメタバースで
お金や人種の垣根がどんどんなくなっていくから。
言われたことをただひたすらこなす人間の育成を求めた学習指導要領
今の時代に合っていないのはもう間違いない。
途中引用でもあった通り
教育とは世の中で起きたこと、行われていることは、より正しいのか。より正しくないのかといった判断ができるようにすることだ
教科を学ぶ時代はもう終わったのかもしれない
だからこそ
世の中のいろいろなことに興味をもてる人
楽しんで学んでいきたいと思える人を育てていきたい。
生涯、勉強です。